逃げ弾正のナマポ生活

夜逃げして10年、生活保護受給者になりました

欲しかったすべては実はそこにあったのかもしれない

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抜けるような青空の下、歴史の街である有り難みのひとつでもある近所の史跡に行ってきました。思いつきの行動なんですけど、よく考えたら昔から近すぎてかなり行ってなかったなぁ。

小学生の頃とかは遠足やらでよく行ったいつもの場所なんですけどね。大人になってからはいつ以来だろうか…。覚えがない。

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この綺麗に並んだ石の土台?みたいなの、実は偽物も紛れてて、小さい頃は足で踏んで音が違うヤツ見つけてはしゃいでたなぁとか。なんかいろいろ思い出して和んでた。

若い頃からブラック企業勤めで休みなんかほとんどなくて、まぁ住んでた場所も違うとこだったのもあり、ここに子供連れてきた思い出はないな。

ふと昔の映像を重ねてしまったりしましたが、悲壮感はないです。多分、どんな会社勤めててもあの頃の俺はそんなに子煩悩じゃなかっただろう。

それこそ長男の頃は、会社に内緒で週末の夜中はタクシー洗車のバイトしたりしながらも、朝方に帰って少しの時間でも近所の公園やイオンとか行ってたかな。

あの頃はとても貧しかったけど日々充実してたし、今思うと俺が1番カッコいい親父だった頃だと感じる。

『当たりくじを引くことを願う人生より、自分の存在が身近な誰かの当たりくじになる人生でありたい。』

誰に言われたわけじゃないけど、ガチでそんな風に思って生きてた。あの頃の座右の銘みたいなもんで、おそらく大半の人が逃げ出すような環境でも踏ん張れたのはこんな信念があったからだと思う。

現状から逃げるのは簡単だけど、ガキが大きくなったときに、何かあったらすぐ逃げることが正当化されたり、心から『ここが正念場と思って踏ん張れ』と言えなくなる気がして。

教えたいのは金の稼ぎ方じゃなくて、ここ1番の意地なんだよって…まぁ、若さ故の無駄な時間だったのかもしれない。それでもその頃の俺は多分人生で1番輝いてた。前後は間違いなく腐ってるから。

それから少し稼げるようになってからは、いつのまにか『自分が当たりくじを引きたい』だけの生き方になってたよね。

誰よりも良く思われたいとか、楽して沢山稼いで良いクルマ乗って、周りから羨望の眼差しで見られたいとか…これは長く続いた貧乏生活の反動なだけじゃなく、元は堕落した生き方してて性根が腐ってるせいだろう。数年間演じた化けの皮が剥がれただけだ。

なんのためにFXやってたか?もう我欲以外の何者でもない。クソポジ抱えてチャートから目が離せなくなって、これまで何度子供との約束を破ったのだろう。どれだけカミさんの話を上の空で聞き流していたのだろう。金が無くなるに連れて荒れていく俺は、子供たちから見てなんと哀れな姿だっただろう…

誰も居ない広い世界で1人、これまで都合良く抑えていた"本当の思い出"を噛み締めた。空には太陽が輝いて全身のくだらない思いを焼き尽くしてくれてるようだった。そんななかで吹く風も心地良い。遮るものがない平野で、昔の人もこの場所で同じように心地良い風を浴びながら、何かに思いを馳せていたのかもしれないな。

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何故そんなことを急に思うようになったかと言えば、最近稲盛和夫さんの本を手にしたから。

すべての出来事は己の心の招いた結果でしかなく、身近な人から大衆まで、自分以外の利益のために生きて働くのが本来の理想の生き方である…というようなお話。自分でもわかっていたけど、何処か自分以外のせいにしようとしてたことは少なくない。そして取り返しのつくことばかりでもないのもわかってる。だから自分にしかわからない"それら"をせめて受け入れようと思った。

自分がホントに欲しかったものはなんだったのか?改めて考えてみたり、本当に失った「大切なもの」はなんだったのか…とか。

直視すれば死にたくなることばかりだと思って、考えからもどこか逃げていたけど、受け入れてみると意外にもそんなことはなかった。

また家族みんなで笑って過ごす時間が〜…とか、そんなことは思わない。俺はきっと死ぬまで1人だろう。振り返ると母親に始まり、たくさんの女性が支えてくれた人生だった。

それこそ唯一の相手にさえ出会えぬままの人や、逆に大切な人を残してこの世を去った人達も少なくないだろう。

そんな人達からすれば俺はかなり恵まれていた人生だと感じてる。身寄りも学もないくせに誰にでもケンカを売ることをやめない。最後は身の丈もわからないまま世の中にさえ仕掛けてしまい、完膚なきまでに叩きのめされても負け犬の遠吠えを吐いて逃げ続けた。

そんな数えきれない我儘と、我欲にまみれた汚い生き方さえも抱きしめてくれた優しさ。なぜあの人達は自分の人生を犠牲にしてまでこんな自分を支えてくれたのか、今はもう知る由もない。

だからもう最後は自分1人で生きなさい、その人たちへの罪を償うためにも。そう言われている気がしてる。そしてそれで良いと思ってる。

してやらなかったことは多すぎて、目の前の無関係な景色にも身勝手な残像を映し出す。若い頃の俺が子供を太陽に届くほど高く抱き上げて、無邪気な笑顔が精一杯の「大好き」を伝えてくれている。

それを微笑みながら見ていた嫁さんが「お昼にしよう」と、持ってきたトートから弁当を取り出して広げて見せた。色とりどり…とは言えない、地味な弁当ではあったが、金が無いなりに手間をかけたおかずと大きなおにぎりが子供にとってはご馳走だった。

「ママのお弁当、おいしいね!」

「あら、ありがとう(笑」

嫁さんが嬉しそうに子供を抱きしめて、俺に得意げな顔をして見せた。もちろんお世辞でもなんでもない、休日の晴れた広場て家族揃って食べる昼食は格別なものだ。俺も同じように感じたけど、恥ずかしくて口には出せなかった。

そんな『口に出せなかった感謝』は山のようにある。部下が増え責任が重くなった時期からは毎日しかめ面だったと思う。

嫁さんは家のなかで努めて笑っていた。雰囲気を暗くして子供たちが怖がらないようにしていたのは知ってた。けれどそんな相手に感謝を述べるよりも、起こるトラブルのほとんどが、ヤクザか弁護士、はたまた警察相手の極端な日々が続いていて「気楽でいいよな」という気持ちが勝っていたと思う。

こんな事は言い出したらキリがないほどある。日常のあちこちに感謝をすべき場面があったのに、天邪鬼な性格もあってすべてを蔑ろにしてきた自覚だけが残ってる。

だからまた縁を戻してやり直したいとも思わないし、子供達から絶縁されても構わない。俺も親父の最後を知りながら顔すら見に行かなかった。その頃の言い訳はあるが、言い訳でしかないと今は思う。

仕事でFXで負け続ける俺に対し、元嫁さんが言った一言がいまも頭から離れない。

『あなたはいったい何と戦ってるの?』

ホントなんだったのだろうね。あの頃というか、親を失い兄も失踪して、ご先祖様のためにも自分がなんとかしないと…って。

貴女が求めたのは「穏やかな普通の人生」だった。お金がなくとも家族みんなで笑って過ごす時間が人生でもっとも貴重だと知っていた。

俺は環境が普通じゃないから、普通を目指すにも壁が多かった。とっくに普通になれていたのに、前しか見てなくて家族を置き去りに走り続けてたな。

そして見栄や自己顕示欲の沼にハマっていることにも気付かず、底なしで終わりの見えない負のエネルギーに押し流されてきた。

当時の自分が欲しかったモノは車だったり豪邸や見栄えの良い人生だった。間違いなく。金さえあれば誰もが求めている"幸せ"になれると信じてた。

でも肝心な唯一の存在である身近な人の願う"幸せ"とかけ離れていたことを知らずにいた。

無関係な他人の尺度で幸せの価値の基準測っていりゃ、もうそれは自分のオリジナルの人生とは言えないものだろう。

『パパはなんでも作れるんだね。すごい!』

子供が小さい頃にブロックでいろいろ作ってあげてたときの一言。あの時のように、自分達が望む幸せを小さく小さく積んでいたら、今頃は少しは形になっていたのかな。

石の上に寝っ転がって太陽が掴めやしないかなんてバカなことをしながら考えてた。

何かを失う代わりに何かを得ると言うのなら、俺が得たものはなんなのだろうか。今はまだ全然わからない。

頭のなかで反芻される『あなたはいったい何と戦ってるの?』という問いにも、未だ答えが見つからないままだ。

あの頃の俺が『ありがとう』をちゃんと言える人だったなら、人生はもっと豊かになっていたのかもしれない。誰もいない広場にはまた心地良い風だけが吹いて、目の前の草木が揺れている。

目を閉じると照りつける太陽の熱を消すように涼しげな風が通り抜ける。

あの頃の自分が嫁の膝枕で遊び疲れた子供を抱いて昼寝してた映像が脳裏に蘇る。それが真実だったかどうかももうわからないくらい時間は経ってしまったけれど、確かに幸せだったと思える時間をこの歳になっても感じられることがあるだけマシな人生だったと思えた。

いったい俺は何と戦ってきて、そして何に負けたのだろう?再びその疑問を考えてみたら少し可笑しくなった。

もう終わったことだ。持参した本を手に取ってみたけれど、もう一度だけあの日の思い出に浸ろうかと寝っ転がって目を閉じてみたよ。

『今日は楽しかったね。また行こうね。』

『今度はおにぎりにシーチキン入れてね!』

『はいはい。次のパパのおやすみいつかな?楽しみね』

いつの会話かさえ覚えていないけれど、目を閉じれば聞こえてくる優しい声と無邪気な声。何もかも失った今、俺にある財産なんてこんな"あったかどうかもわからない都合の良い思い出"だけだよ。

それでも思い返さずにはいられないんだ。そして心のなかで「ありがとう」を繰り返した。

ホントの幸せはもう手に入れていたんだな。結局、貧乏くじ引かせてしまってごめんよ。

誰に伝わるでもないそんな思い、これからの幸せを願う気持ちで蓋をして、ただ吹き抜ける風に身を任せた。

遠い昔にも、こんな風に誰かが誰かを想ってここに佇んでいたのかな…。